まだ「塾の先生」になりたての頃、大失敗をしてしまったことがありました。
中3男子数名で「いつも一緒にいるメンバー」がいました。
名前は「拓哉」「正広」「慎吾」「吾郎」(仮称)でした。
ある日「拓哉」君のお母様から塾に電話がありました。お母様の話によれば「拓哉」君が、「正広君・慎吾君・吾郎君」からお金を取られたり、いじめられたりしていると相談がありました。
当時の私からみると、とても「正広君・慎吾君・吾郎君」は「イジメ」なんかするような子に思えませんでした。
みんな成績は良くなかったけど、明るい性格で、みんなで、よく遊んでいました。
そこで私は「正広君・慎吾君・吾郎君」に、「お前たち拓哉のこといじめてるのか?」って聞いてみました。
正広も慎吾も吾郎も「俺たち絶対そんなことしてないよ!」と言うので信じました。
そのことを「拓哉君のお母様」にお伝えすると、お母様の怒りは頂点に達し、「こんな馬鹿らしい塾は今日限りでやめます!」と言って塾を去って行きました。
私の最大の失敗は「裁判官気取り」だったこと
拓哉君が塾を辞めたあと、私はものすごく悩みました。
- 拓哉君がいじめられていたのは本当だったのか?
- 正広・慎吾・吾郎は果たして「本当のこと」を話してくれたのか?
あれから30年以上経ちますが、いまでも真相は分かりません。
私の大失敗は「裁判官を気取ったこと」でした。
本当のことが分からないのに、自分の中で勝手に「判決」をくだして、拓哉君を「有罪」にしてしまったのです。
今頃拓哉君はどうしているでしょうか。もう四十代も半ばの立派な「おじさん」になっていることでしょう。
そして「こころの中のどこか」に、当時の新米塾教師のことはひっかかっているのではないかと思うと・・・・。
それを最後に私は「生徒を裁く」ことは、スッパリとやめました。
その後、塾生同士で「揉め事」が起きたことも何度かありましたが、私は決して彼らを「裁く」ことはしませんでした。
私は「塾の先生・塾長」です。「裁判官」じゃないのです。
私は「拓哉・慎吾・正広・吾郎」の話を聞いてあげるだけで良かったのだと思います。
もちろん「拓哉君のお母様」とも、電話じゃなくて「塾」にお呼びして、もっとゆっくりお話しを聞いてあげれば良かった。
私の仕事は「どちらが悪いのか・どちらが本当なのか」を正すことではなくて、双方の言い分を丁寧に聞いてあげることだったのです。
今更拓哉君とお母様にお詫びすることはできません。
この件に限らず、私は数々の失敗をしてきました。その度に当時の生徒の皆さんや保護者の方に迷惑をかけてきました。
本当なら当時迷惑をかけた生徒の皆さん全員にお詫びしてまわりたいくらいですが、そんなことはできっこありません。
ただ「今の私のキャリア」は、そうした失敗の上に成り立っています。
初めから上手く授業ができたわけじゃないし、初めから生徒指導が上手にできたわけじゃありません。
「数々の失敗」が私を成長させてくれました。
もちろん「これで完成した」とは全く思っていません。
それどころか「塾長としてスタートライン」についたくらいにしか思えません。
私は「36歳で塾長」になりました。
あれから22年(今27歳ですけどねw)!
やっと「塾長」という仕事がやりやすくなってきました。
それもこれも、私を鍛えてくれた「かつての教え子の皆さん」のおかげと感謝しています。
皆さんにお詫びしてまわることはできません。
ですが皆さんの「後輩」にあたる、「現KOSHIN学院塾生」や「これから塾生になる子達」に皆さんから学んだ貴重な経験を役立てていくことで勘弁していただきたいと思っています。
それでは今日はこの辺で。明日から三連休です。来週火曜日お会いしましょう。
【KOSHIN学院は神奈川県平塚市田村にある、かつての教え子から学んだことをいかしている学習塾です!】