世の中には「俺は勉強なんか大っ嫌い! 絶対やんないよ!」と言い切っている人がいます。その方の人生ですから、私がとやかくいうことではありませんが・・・。
しかーし!
KOSHIN学院に来てくれた生徒には「勉強して欲しい」と強く願っています。
「教育が高くつくというなら、無知はもっと高くつく」
by ベンジャミン・フランクリン
ひとつの生き方しか知らなかったら、それで生きるしかない!
少し古い話ですが「江戸時代」までは「士農工商」という身分制度がありました。昨今では「百姓」とか「床屋」とかは差別用語であるとかないとかという議論がありますが。
※百姓とは差別用語でしょうか(参照)
例えば江戸時代に「お百姓さん」の子どもとして生まれてきた子は、生涯「お百姓さん」として生きるしかありませんでした。
身分制度が厳しい時代でしたから「他の生き方」を考えるなんていうことはなく、死ぬまで黙々と「お百姓さん」を続けるしかなかったのでしょう。
※ちなみに私の先祖は歴代「お百姓さん」でした。子どもの頃は「祖父」の仕事を邪魔するのが楽しくて仕方ありませんでした(笑)
私の父親はいわゆる「高度経済成長を支える典型的なサラリーマン」でした。祖父は別に暮らしていたので、私もきっと「サラリーマン」になるんだろうなと思っていました。実際大学を卒業してすぐに、一応「サラリーマン」にはなったのですが、どうにも居心地が悪くていたたまれませんでした。
※この話はまた後日
別の生き方を探すしかなかった!
というわけで私はサラリーマンとしては完全に失格でした。大手学習塾に勤めましたがそれは「サラリーマン」とはほど遠い暗い闇の世界でした。簡単にいうと「ブラック」な世界です。
もうこれ以上この会社にいたら殺されると思いました。そこで私は「逃げ出して」きました。まだ死にたくありませんでしたから。
さて逃げ出してはきたものの、サラリーマンの息子に産まれた私は「会社に勤める」以外の生き方を知りませんでした。
心身ともに疲れ果てた状態から回復するにつれて「祖父」のことを思い出すようになりました。そういえば祖父は一度もサラリーマンなんかやってないし・・・。
そっか! 自分でやるという手があるじゃん!
心身ともに回復してきた私は「新たなる希望」を手に入れました。それが「KOSHIN学院」(心を耕す学院)です。
ようやく
- 自分で学んできたことを活かせる職業
- 本当に自分がやりたかった職業
を見つけたのでした。
あれから早くも24年以上が過ぎました。以前の塾に勤めていたときは「暗闇な世界」ではありましたが、あの時「勉強しておいて」本当に良かったと今でも思います。
無知ほど怖いものはない!
これは私自身への強烈な戒めです。私は大学生の頃は「世の中のことは何でも知っているようなつもり」でいました。学生時代はそれなりに「いろいろな世界の人」とお会いして、それぞれの方から貴重な話を伺っていました。
そんな話を聞いて「そんなの俺にも簡単にできる!」と偉大なる勘違いをしていました。学生時代は「生意気」なことを言っていましたが、いざ社会人になってみると全く想像していたことと違う世界が待っていました。
私の考えなんか世の中には全く通用しない! 実績がないから相手にもされない!
社会人になって痛烈にこのことを思い知らされたのでした。学生時代はたいして勉強していなかった私の能書きなんか誰も相手にしてくれませんでした。そりゃそうですよね「なんの裏付け」もないし、「なんの実績」もないのですから。
自分で自分を呪いましたが、もはや後の祭りでした。
しかーし!
幸いにして「別の生き方」である「KOSHIN学院」に辿り着けたので、その「暗黒の時代」もあながち無駄ではなかったと思いますけどね。
あの時勉強しておいて本当に良かった!
世の中について無知だった私ではありますが、
※誰だって最初はそうですけど
やはり「勉強しておいて本当に良かった」と思うのです。それは単に「教科を教えられる」ということだけではなく「自分の可能性に気付くことができた」ことが大きいのです。
「一生懸命真面目に働いてきたのに、何も報われない。年金は少ないし、女房には愛想を尽かされるし、これなら生活保護のほうがマシじゃないのか。今では犬だけが俺の味方だ。」
などと愚痴をこぼしながら死んでいくような人間にはなりたくありません。
他の生き方を知りながら、「自分はこの生き方をしたい」と思えているなら、それでいい。
「この生き方しかないから、こう生きるしかない」のなら、それは悲しいことだよね。
少なくとも「まだ中学生」「これから中学生」の子達には「無知で人生を棒にふる」ような人生を送って欲しくありません。
それでは今日はこの辺で! また明日!
【KOSHIN学院は神奈川県平塚市田村にある、一生懸命頑張る生徒をトコトン応援する高校受験専門の学習塾です!】