「ベテラン」と呼ばれる教師の中には、新しい知識を身につけようともせず、何十年も全く同じプリントを使って何十年も同じ説明を繰り返し、オマケにギャグまで毎年同じなんていう人もいます。
自分が担当する科目に対する知識を掘り下げようともしないのです。
などとエラソーなことを書いているんですけどね。生徒の勉強している姿を見ているとある違いに気がついたのです。
「10年ほど前の生徒の分からない」と「今の生徒の分からない」が違ってきているのです。
先ほど「何十年も同じ説明」という話をしましたが、10年前なら「この説明」で分かってもらえたものが、今だと「その説明」では理解してもらえない生徒が増えてきたのです。
なぜ「分からない」に違いが出てきたのか?
なぜ「生徒の分からない」に違いが出てきたのでしょうか。そもそも「その違い」に気がつかない教師なんか論外ですけど。
簡単に言ってしまえば「生徒達を取りまく環境」が大きく異なってきたことに起因するのではないかと。
例えば私が生まれた「昭和33年」ですと、まだ戦後(終戦は昭和20年)の影響が残っていました。教師による体罰なんて普通に行われていました。
さらに遡って「戦前の教育」ともなると、全ては「お国のため」という理屈で生徒に厳しい仕打ちをすることも普通に行われていたそうです。
「平成の時代」になると、徐々にこうした暴力や体罰は禁止されるようになりました。
「セクハラ」「パワハラ」「モラハラ」などにも世間の厳しい目が光るようになりました。
昭和の前半と後半では「家族構成」も変わってきました。平成の時代には祖父母と同居する子どもも激減しました。
当然「おじいちゃん・おばあちゃん」の「昔話」を聞く機会も激減しました。
さらにはIT化の影響で「死語」になってしまった言葉も多数出てきました。
- 改札口で切符を切る
- 電話のダイヤルを回す
- テレビのチャンネルを回す
昭和時代には普通に使われていた言葉が、完全に死語になってしまいました。今の生徒達にこんなことを言ったら「キョトン」とされてしまいます。
しかーし!
国語の教科書には「こんな言葉」がチラホラ出てきます。
私達が当たり前に使ってきた言葉でも、生徒の皆さんは「分からない」のです。
にもかかわらず、何十年も同じ説明しかしないというのは生徒の皆さんの気持ちを全く考えていないのと一緒です。
こうした「言葉の違い」がどの科目にも少なからず影響を与えているのかなと思われます。
なんかこの話長くなりそうです(笑) 日を改めて続きを書いてみたいと思います。
それでは今日はこの辺で! また明日♪