元ドリフターズのメンバーの志村けんさんがお亡くなりになりました。荒井注さんがドリフを抜けて代わりに志村けんさんが登場した時のことを今でも覚えています。
最初はなんだかしっくりこなかったけど、あっという間に『人気者』になっていきました。ドリフターズの中では『一番若手』だったのに、まさか・・・。
70歳ということですので、私とは9歳違い。まだ亡くなる年齢ではないのに・・・。寂しいです。
私は命の危険は覚悟しています!
どうしても思い出してしまうのが、KOSHIN学院を作る前の1年間のことです。35歳の時私は前職を辞め、2度と塾の先生はやらないと決意していました。
というよりも『誰かに雇われる』ことに疲れ果てていました。どんなに頑張っても所詮他人の会社でしたから・・。
1年間休養してる時に、それだったら『自分でやろう!』と思うようになりました。そしてその決意をしてから3ヶ月後にはKOSHIN学院に生徒さんが通ってきてくれるようになっていました。
独立開業開業したときに『これからは何の保障もない』『全てのことを自分で決定しなければならない』『自分の気持ちを大切に生きていこう!』と覚悟しました。
この先どうなるか分からないけど、とにかく一生懸命働きたかったのでした。
そして
『働くってどういうことなんだろう』
と悩み続けました。
自分なりに辿り着いた答えは・・・
困っている人の代わりに作業をしてあげて、その報酬をいただくこと。
でした。
ですから一生懸命働けば働くほど誰かを幸せにできるんだ!
そう思って生きてきました。
あれから26年。結果としてある程度思った通りの人生を送ってくることができたんじゃないかと思います。
振り返れば本当にいろいろなことがありました
KOSHIN学院を作ってからの26年間。毎日『これでもか!』『これでもか!』というくらいいろいろなことがありました。
あの『東日本大震災』の時は、さすがにもうダメなんじゃないか・・・と覚悟しました。
しかーし!
なんとか生き延びることができました。ちなみにあの東日本大震災の時には、現中3生は『幼稚園』に通っていたそうです。
今回の新型コロナウイルスはそれ以来の大きな事件だと思います。
まさかあの志村けんさんが・・・。
人間の命ってはかないものだと思いました。
しかーし!
私達は『まだ生きています!』。生きてる限り前に進まなくてなりません。
そして『この国は』『この世界』は、次世代を担う若者たちに受け継いでもらわないといけません。
私は『若くて、将来の希望に溢れている若者たちが大好き』です。
この子達のために『私に出来ることは全て』やってあげたいと思っています。
人生ははかないものかもしれませんが、『どれだけ一生懸命生きたか』で価値が変わってくると思います。
私は若い子達が『一生懸命生きる』ことを強く願っています。
私も命ある限り、若い子達のお役に立てるよう頑張ります!
それでは今日はこの辺で! また明日♪