私の知り合いで、東京都大田区で「松栄塾」(しょうえいじゅく)という個人塾を営んでいる塾長先生がおります。
※通称「くま塾長」とお呼びしております。(笑)
この「くま塾長」先生が、今日のブログでこんなことを書いていらっしゃいました。
くま塾長先生は、学生時代運動部には入りたくなかったのだそうです。
その理由は
時に聞こえてくる先生の怒鳴り声
気合いが足らない!
根性出せ!
が嫌だったからだそうです。指導力の不足を「気合いだ!」「根性だ!」て補おうとする指導に抵抗を感じていらっしゃったそうです。
私はどうなのかと反省してみました。
「気合いだ! 気合いだ! 気合いだ!」とは元プロレスラーのアニマル浜口さんの代名詞とも言えることばですね。
くま塾長のブログを読んでみて思ったのですが、私も学生時代に先輩から「お前は気合いが足りない!」と言われるのはすごくイヤでした。
その先輩と会話すると・・・
私 :「今日寒いですね♪」
先輩:「こんなの寒いうちに入らね~! 気合いが足んね~んだ!」
いつもこんな感じで、だんだんその先輩とは会話をしたくなくなりました。
「気合い」が入っていようがいまいが、寒いものは寒いですもんね。
と言うことはですよ!
試験の点数が悪かった生徒に「お前は気合いが足りないんだ!」って叱ってるようなものですよね。
試験の点数が悪かった生徒には、何らかの原因があります。
- 単純に勉強不足だった。勉強したつもりなだけだった。
- 試験範囲のやるべきことをやっていなかった。
- 一度問題を解いて終わりにして、最後の確認作業をしていなかった。
など、あげたら切りが無いほど原因があります。
優秀な先生なら、「君が数学の点数が悪かったのは、実は数学のワークが最後まで終わってなかったよね! 次は試験範囲すべてやりきれるようにしよう!」とか具体的に指示をだします。
そうした指導もせずに「気合いだ、根性だ!」と言われても、生徒だって何をどう頑張れば良いか分かりませんもの。
気合いが足りないと、気持ちが入ってないは別物!
上記の通り「気合いだ! 根性だ!」だけじゃ、もはや「指導」とはいえないし、教師の力量の無さを露呈しているようなものです。
しかーし!
「気持ちで負けている」ような生徒は、やはりダメなんですよ。
- 勉強する前から、僕にはできっこないと思っている。
- あ~イヤダ! 面倒くさい。勉強なんかしたくない!
これじゃダメだって皆さんも思ってくれますよね。
何度も繰り返し言っていますが、
中学校の勉強って本当に難しいんです!
中途半端な気持ちじゃ、こんな大変なことできるわけないんです。
中学の勉強は、本当に難しいので「気合いだけ」じゃできるようになんかなりません。まさに「くま塾長」先生のおっしゃる通りです。
しかーし!
「よ~し! 絶対にできるようになってやるぞ!」という「気持ち」は絶対に必要です。
「できるようになりたい!」という気持ちがあれば、先生に質問に行く回数も増えてきます。
質問の内容も、具体的になってきます。
- 気持ちが入っていない生徒は、何を質問したら良いかも分からないから、授業時間中ひたすら時間を潰しています。
- 気持ちが入っている生徒は、本当に分かるようになりたいですから、積極的に質問にきます。
くま塾長先生は、このようにおっしゃってます。
技術面でわからないことがあるから困ってる
それを気合いと根性で覆い隠してしまう
あの雰囲気がいやだった。
逆に言うと「気持ちが入っている生徒」の場合、「技術面で分からないことがあって困ってるから、先生に質問にいく」のです。
昨日のブログでも書きましたが、「少しの差が大きな差になる」典型的なパターンです。
「気持ち」と「気合い」の微妙なニュアンスの違いがあるんですね。
それでは今日はこの辺で。また明日!
【KOSHIN学院は神奈川県平塚市田村にある、一生懸命気持ちを込めて指導する学習塾です!】